社長のブログ
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お帰りなさい「Dr肥沼」
2020-10-09
おかえりなさい「Dr.肥沼」
「Dr肥沼」をご存知ですか。
ポーランドとの国境に近いドイツのヴリーツェン市では第二次世界大戦終結直後の壊滅状態から多くの命を救った恩人として、その功績が顕彰されている。小中学校の教科書にも取り上げられ、名誉市民として敬われている。
ソ連侵攻により押し寄せた難民、困窮する市民に蔓延した発疹チフスなどの伝染病患者に、たった一人の医師として治療に尽した。医薬品や食糧の調達にも奔走し、自身も1946年3月8日、発疹チフスで没してしまった。37歳の若さで。
その後、東西ドイツの分断で、東独側になったヴリーツェン市のDr.肥沼の消息は、東西の壁に阻まれ、日本に届かないままに。
ソ連侵攻により押し寄せた難民、困窮する市民に蔓延した発疹チフスなどの伝染病患者に、たった一人の医師として治療に尽した。医薬品や食糧の調達にも奔走し、自身も1946年3月8日、発疹チフスで没してしまった。37歳の若さで。
その後、東西ドイツの分断で、東独側になったヴリーツェン市のDr.肥沼の消息は、東西の壁に阻まれ、日本に届かないままに。
生家跡に近い八王子駅北口・西放射線ユーロード沿いの中町公園に肥沼信次(こえぬま・のぶつぐ)博士を顕彰する碑が2017年に建てられた。ドイツ北西部のヴリーツェン市で没して71年後、同博士の魂は父祖の地に帰還した。